インフィニットループ 広報ブログ

2025年09月01日 (月)

著者 : matsuyama

【ILの部活動】漫画部:「精神論2015」

こんにちは、漫画部・部長のmatsuyamaです。

2025年夏の全国高校野球は、沖縄尚学高校が初優勝を飾りました。おめでとうございます。

野球は日本で最も広く知られ、愛されているスポーツの一つです。海の向こう、MLBでの大谷翔平選手の活躍も、日本の各種メディアを大きく賑わせています。
当然、野球をテーマにした漫画作品も数多く描かれています。

今回は、ある出来事で思い出した、野球にまつわる漫画を取り上げようと思います。

鍼灸がなぜ効くのか

少し前のことです。
とある会合で、父が事業でお世話になっている方とお話をする機会がありました。ここではいったんMさんとしましょう。Mさんは鍼灸の資格を持っておられる方で、うちの母にお灸をしてくれたと伺ったので、お礼を伝えました。そして私はMさんに、ちょうど気になっていた、こんな質問をしました。

「最近会社で話題になったんですが、鍼灸って、どういう作用で体の不調が良くなるんですか?」

するとMさんは、こんな風に答えてくれました。

「そうやね~。鍼灸がどうして不調に効くかと言うと、これはすごく乱暴な説明になるけどね、要はわざと体に傷を付けてるんやね。そして体がその傷を治そうとする。その治そうとする力によって、一緒に不調も治してもらおうとしてるんやね」

わざと傷を付けて、治す。
この話を聞いて、なるほどそういうことなのか、と思うと同時に、ある漫画のことを思い出しました。それが、「精神論2015」という短編漫画です。

ローカルワンダーランド

「精神論2015」は「ローカルワンダーランド/福島聡」という漫画の2巻に収録されています。短編漫画の連載を収録した、オムニバス的な内容です。

中でも同じ2巻に収録されている、高校生2人がアニメ制作を志すに至る「ストレート・アヘッド」という話は、この単話から話を広げて「バララッシュ」という連載漫画となり、全3巻が刊行されています。こちらも非常に面白い漫画です。


今回紹介する「精神論2015」は、プロ野球選手・黛(まゆずみ)と鍼灸師・門司(もんじ)のストーリーです。

※注意:ここから「精神論2015」のネタバレを含む内容となります※

精神論2015

抑えの投手(クローザー)である黛は、打ち取られて敗戦した日、門司から鍼灸院へ来るようメールを受け取ります。黛は次の日、気乗りがしないまま門司鍼灸院へと向かいます。

門司は派手な髪型・鋭い目つきに尖った歯・背中にヘビをあしらった黒長のコートを着ており(2巻表紙の一番下、左が黛で右が門司です)、謎の身振りで「ズバラシャアアァ」と叫んだりします。まあ、少なくとも鍼灸師には見えません。

針の施術を始めると、門司は、黛の足に針を打っていきます。しかし黛が痛めているのは左ヒジ。問題のある場所に針を打たない、針治療ってフシギですね、と黛は言います。

すると門司はカチリと針を置き、「鍼灸は基本……まやかしだよッ」と裏声で答えます。

黛 「…… スゴイ裏声ですね」

門司「痛い所ってのはその周りの筋肉が固くなってるから
   そこをほくしてやれば痛さはなくなる
   だが絶望的にも治るということはない……」

門司「最終的に痛い所は自然治癒力で
   どうにかするしかない……」
門司「夢も希望もない世界さ」

以下、全ての引用は 精神論2015(ローカルワンダーランド)/福島聡より

そして門司は「でも安心、プロは体がデキてる。問題は心のほうだ」……と言います。
それから、「人の心って何かわかる?」と黛に問います。

門司「人の心ってのはさ……」

門司「クーッ!」

黛 「…… くー?」

門司「色即是空の空…… つまり何もない」
門司「キャラッポウ」

黛 「カラッポ?」

門司「ちなみにこの色即是空をさ こう英訳した奴がいるんだ……」
門司「キャンキシェイ!!」

黛 「…… え?」

(中略)

門司「黛さん アンタと俺の『関係性』
   これが心……大事なことなんだよ」

黛「あー キャンキシェイ…… 関係性……」

アンタの今あるべき姿はなんだ?

黛の背中をマッサージしながら、さらに門司は問います。

門司「ねぇ黛さん
   人の心って傷つけていいと思う?」

黛 「……」
  「いいと思う……」

門司「もちろん悪いッ」
門司「人の心は傷つけてはいけない
   ただし条件付きだ」

門司「ありのままの自分じゃ嫌だって奴は
   傷つけるに値する」

門司「黛さん」
門司「変わりたい?
   変わりたい?
   アンタ変わりたい?」

黛は変わりたい、強くなりたいと答えるが、門司は嘘だと言います。

門司「アンタは嘘をついている
   でしょ?
   アンタは本当は世の中が変わってくれるのを待つタイプだ
   でしょ?」

黛 「いや変われるよ
   俺自身が変われる」

門司「ゴマかしてるね アンタ嘘つきだ」

黛 「……」
黛 「鍼灸はまやかしだって言ったのは門司さんだろ?」

そこで、門司はハタと左手を自分の口に当て、続けます。

門司「プロ野球と一緒だよ」

門司「見世物小屋で
   投げて打って……虚業だよ」

黛 「何を……」

そして次に、右手で自分の目を覆います。

門司「オイ筋肉バカ」
門司「そんな商売してて 人間らしくいられると思うなよ」

黛 「は!?」

門司「黛礼二 30歳 ロートルピッチャー 33歳で引退
   その後 解説者不採用 監督コーチ不採用」
門司「スポーツメーカーに無難に再就職
   日常日常」
門司「過去の栄光
   日常
   緩慢な死……」

そこで、門司はガバッと黛の頭を掴みます。

黛 「なんだコレは?」

門司「オイ筋肉 この地獄の中で
   アンタの今あるべき姿はなんだ?」

門司「答えてみろ」

黛は門司の腕をガッと掴み、答えます。

黛 「俺はクローザーだ」
  「目の前のバッターを倒すだけだ」

門司「小せえなぁッ」

黛 「小さい?」

門司「小せえなぁッ まるでアンタのケツの穴だ」

黛 「投げる前から……
   バッターをビビらせるような……」

門司「全然ビビんねえ屁でもねえッ
   ホラ この頭使ってもっと考えてみろよお前はリスか!?」

ここで黛は門司を殴りつけ、「もう限界だ俺は帰る、不愉快だ」と言って鍼灸院を飛び出します。

とある公園にて

……とある公園。

子供。老人。犬。

ベンチに座る、男性と女性。女性は赤ちゃんを抱いています。

そののどかな風景を、黛は向かいのベンチに座って眺めています。

親しげに話す男女。サァァっと風が吹き、赤ちゃんがあくびをして、伸びをします。

そのうち彼らがベンチを離れて歩き出すまで、黛はそれをずっと眺めています。

やがて、黛はとぼとぼと公園を歩き出します。
そして、目に一筋の涙を流しながら、こうつぶやきます。

黛「人間らしくいられると思うなよ……」

……

黛は、鍼灸院に戻って来ました。そして、門司に会うなりこう告げるのです。

黛 「門司さん 俺は鬼になるぞ」

黛の眼光には鋭さがあります。
門司は「それだ」と、謎の身振りと共に親指を立てます。

次の日

次の日、黛は抑えの投手として、試合に登板します。
マウンドに来たキャッチャーからは、「とにかくリラックスだ」と声をかけられます。
黛は一夜開けて、門司とのやり取りからは目が覚めたようでした。

黛(昨日はどうかしてた……)
黛(鬼ってなんだよ 昔話じゃあるまいし)

第一投を投げようとセットポジションを取った時、観客席が目に入ります。
そこにいたのは、門司でした。黒長のコートで、階段に立っている。「通路は立ち止まらないで」なんて注意をされている。

門司を見た黛は、様子が変わります。眼光鋭く、歯をギャリッと食いしばります。
そして、狂気をはらんだ目で投球し、打者を打ち取ってゆきます。

最後の一人を三振に抑えた瞬間、黛は「ズバラシャアア!」と叫びます。
観客席を見ると、沸き立つ観客の中、ズバラシャアアのポーズを取る門司が見えます。

いったん傷付けて、治す

この作品を読んで印象に残ったのは、まず一つに門司のキャラクターでした。特徴的な恰好で派手な言動を取り、歯に衣着せぬ言葉を黛にぶつける。それでいて黛のことを真剣に考えている様子は見て取れます。
そして何よりビックリしたのが、セリフの無いサイレントな公園のシーンです。黛と門司が言い争うシーンからのギャップがあるので、尚更その静かな情景が際立ちます。

私が鍼灸師のMさんとの会話でこの漫画を思い出したのは、「いったん傷を付けることで治す」というところです。
鍼灸の効果に関しては、門司は「最終的には自然治癒頼み」と言っており、自然治癒力で不調を良くするという点はMさんの話と同じです。
ただ門司の言う「固くなった筋肉をほぐし、痛みを取る(だけ)」というのと、Mさんのおっしゃっていた「わざと傷を付けて、自然治癒力を喚起する」は、やはり異なる効能だと思います。(ちなみに鍼灸の一般的な考え方が本来どのようなものなのかは、私には分かりません)
心(=関係性)をわざと傷つけ、強くする。この門司の主張とMさんの話には共通点があり、そして門司も鍼灸師だったために、「おや」と思ったのです。

心は空であり、関係性であるということ

門司の言う「心が空であること、心が関係性であること」について、私なりに腑に落ちるところがあるので、これを少し説明したいと思います。

私は、心というのは全て、認識に分解できると思っています。物を見たり、音を聞いたり、何かを考えたり、感じたり。感覚と言い換えても良いかも知れません。それらは「自分」が「他のもの」を見たり聞いたりしていることから、まるで「自分」という主体・受け手がいるような感覚になってしまうけれど、結局そこにあるのは様々な認識だけで、「自分」は無い。カラッポ、ということです。色々感じたり考えたりする自分がいるのではなく、色々感じたり考えたりという認識があるだけ、という解釈です。

そこで、関係性の話です。心がカラッポで認識しかないのであれば、認識があって初めて「空」であるところの心がある。そのため心というものは認識次第、他のもの次第になってくる。特に他人というのは人間にとって一番の関心事であるため、他人とどう関わるか・どう接するかは、人の心を大きく左右するでしょう。人だけでなく物事との関係性も心を形成するけれど、人との関係性が心を形成する大きな要素になりうる。そんなふうに私は考えています。
(これらは私オリジナルの考えでは無く、仏教や認識論などをつまみ食いした結果として、私が至った結論です)

俺は鬼になるぞ

心(関係性)を傷つけることで、今までの有り方から変わる。関係性を破壊して、再構築する、ということでしょうか。門司はプロ野球を「虚業だ」と言い放ち、勝手に想像した黛の行く末を「33歳で引退、スポーツメーカーに就職…」等々と述べます。そのうえで「この地獄の中で、アンタの今あるべき姿はなんだ?」と問います。
黛にしてみれば、門司にそこまで言われるのは、大きなお世話どころの話ではありません。門司は黛との関係性、鍼灸師と患者のラインを踏み越えています。
「目の前のバッターを倒す」というのは「小さい」、与えられた役割への対処に過ぎない。門司が問うているのは、「どうあるべきか」という大きくて根本的な問いです。
結果、黛は心を揺さぶられ、公園での平穏な日常を目にしつつもそれを捨て去ると決意し、「俺は鬼になる」と宣言するに至ります。

ここでMさんの話に戻ると、鍼灸ではわざと傷つけることにより、自然治癒力を利用して不調を治す。つまり、異常を正常に戻す。
一方で黛は、「人間らしくいる」ことをやめ、「鬼になる」。ある意味では、正常から異常になっています。
しかし鬼になるというのも、具体的にどういうことなのか説明はありません。「地獄」で生きてゆくために、平凡な幸せ・穏やかな生活を投げ打つ気概・心の有り方、と言えるでしょうか。

言ってしまえば、気の持ちようを変えただけ。そこは『精神論2015』というタイトルにも表れているのかなと思います。

念のため

念のためですが、私はここではこういう話なのだな、と受け止めているのみで、わざと人を傷つける行為・しごきや体罰などを肯定・容認するものではありません(門司も「もちろん悪い」と言ってますしね)。あえて傷つけることをせずとも、心の有り様や関係性を良くする手段はあるとも思っています。

長々と書き連ねてしまいましたが、この作品の一番好きな点は、鍼灸院から公園のシーンに至る”動”と”静”の切り替わりです。興味を持った方には、是非この漫画を手に取っていただければ幸いです。

漫画棚が新しくなりました

少し前ですが、漫画棚を新調していただきました!

この棚が……

こうなりました!

これからは、ジャンジャン漫画が置けますね!

……なんか既に空いてる場所があまり無いような……?

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